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ジャック・ラカンについて

(1)は、「αは可能である」は「αが偽であることは必然的ではない」を、
(2)は、「αは必然的である」 は「αが偽であることは不可能である」を意味する。
4つの様態は次のような図によって示される。

ところでラカンの性差の論理はつぎの4つの様態論理形式を提示する。
必然 ―― 書かれることをやめない ne pas cesse de s'écrire
不可能 ―― 書かれないことをやめない ne cesse pas de ne pas s'écrire
可能 ―― 書かれることをやめる cesse de s'écrire
偶然 ―― 書かれないことをやめる cesse de ne pas s'écrire
純粋に論理形式のみを問題にするならば、この4つの定式はそれらの様態の関係のみを扱えばよいだろう。 しかしながらラカンは、なぜここで「書かれる」s'écrireというある内容を持った述語を用いることを必要としたのであろうか。
フロイトは『制止、症状、不安』のなかで、書字は筒状のものから液体を白い紙切れに流すことなのであるから交接の象徴としてみとめられてきたと指摘しつつ、この行為の制止Hemmungについて述べている。※
※ 著.6.p322,
 
当然、ラカンにおいても、書字はファリックな機能との関連で述べられることになるのだが、この点に対する理解を容易にするためにかれの欲動理論について簡単に触れておきたい。  セミネ−ル11巻において、ラカンは、欲動について、口唇欲動、肛門欲動、まなざしの欲動、声の欲動と いった4つのタイプを分類している。しかしここにはファルスの欲動といったものは含まれていない。もし欲動というものが、『性欲論三篇』におけるフロイトの依託Anlehnungといった概念によって規定されるなら,つまり性欲動というものが自己保存欲動によって支えられているとするならば、欲動の発達論は最終的な目的、つまり生殖という生物学的目的に依拠せることとなり、ファルスの欲動は生殖に支えられた性愛により自らの満足を得るものとして規定できることになるだろう。しかしながらラカンによれば、(部分)欲動は死の欲動から規定される。エロス的合一は発達論=目的論的迷妄にすぎず、欲動によって可能となるのは合一ではなく、死によって象徴される分離である。たとえば声の欲動においてはフロイトのいうような満足は達成されない。 耳孔は「唯一、閉じることのできない〔つまり満足というものが達成されない―著者〕孔※である。ラカンはしばしば、欲動Triebの英語訳drive文字ってdérive(逸脱)という語を用いる。欲動は目的Zielから逸れてしまうものなのである。 
※ S11 p.178.
 
ファルスの機能をめぐる書字の問題にたち戻ろう。4つの定式は次のように説明できるだろう。
1) 書かれることをやめない
欲動のレヴェルにおけるファルスの機能は、快感原則に従うかぎりは「書くことををやめない」。つまり、実際は、ある閉域であるにすぎない場においてのみ効力を持つ法が〈他者〉と〈他者〉の法にも適用できるとするならば、快感原則の法の外にある享楽jouissanceは快感plaisirと同じものとなるであろう。このときファルスの享楽jouissance phaliqueと合一し、至福は永遠のものとなる。ヘ−ゲルにおける絶対知、シュレ−バ−における神との合一、フロイトにおいては『ト−テムとタブ−』における原父によって具現される。
2) 書かれないことをやめない
ファルスの機能の及ばない、象徴界の外にある現実界。ファルスの法である去勢をまぬ かれている女性という暗黒大陸によって示される。
3) 書かれることを止める
ファルスの機能の必然性の否定、去勢の事実である。事実はつねに可能性によってのみ示される。主体は去勢を通 じてのみ現実の〈他者〉に接近することができる。
4) 書かれないことをやめる
主体は偶然性の様態においてのみ現実の〈他者〉と遭遇できる。しかしそれは、出会いそこないの出会い、失敗を刻印された出会いである。失敗としての出会いにより、主体は反復的に失われた対象を求めこの失敗としての出会いを再現なく反復する。

質量含意

ラカンが4つの様態論理の定式を用いるのは、主体にとって、ファルスの機能が〈他者〉との性的関係において必然的、普遍的な能力を持ちえないことを明らかにするためである。ファルスの能力は挫折するしかない。 必然的なファルスの享楽 la jouissance qu'il faut は挫折する faillir,rater ことの必然性としてしか示されない。ところでファルスにとって必然性の対立様態は不可能性ではない。不可能性はファルスの機能の外、純粋な現実界の様態である。ラカンはファルスにとっての必然性に対立するものは、〈他者〉の不可能に対するファルスの必然性の否定だからである。それは la jouissance qu'il ne faudrait pas といったque 以下が条件法となっている表現によって示される。〈他者〉という条件の下に、ファルスの機能の必然性は否定されるからである。これは仮言命題によって表される。事実、ラカンは質料含意 implication matérielleによって複合命題を成立させる。 質料含意は次のように定式化される。