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ジャック・ラカンについて

これによって、A⇒Bが真であるのは、後件Bが真である場合は(a)と(b)、前件Aが偽である場合は(b)と(d)であることがわかる。ラカンが示した複合命題の一例は S'il y en avait une autre que la jouissance phallique, il ne faudrait pas que ce soit celle‐là.「もしファルスの享楽以外の享楽が存在するならば、前者は必然的に後者ではない」である。これは上に示した式の(d)にあたる。ラカンは次のように説明している。
前件は偽である何かを示しています。つまり「もしそれ(ファルスの享楽)とは別 のものがあればS'ily en avait une autre」という節は、ファルスの享楽以外の享楽は存在しないのですから偽です。しかしながら例外となるような享楽があります。この享楽について女性は一言も喋れません。おそらく女性をすべてではないpas‐touteとしてしまうこの享楽をかの女は知らないからなのでしょう。別 の享楽があるというのは偽です。しかしこのことは、後件つまりこの別の享楽が必然的でないということが真であることの妨げにはならないのです。※
※S20P.56.
こうゆうことである、つまりファルスにとっては享楽はファルスの享楽しか存在せず、ファルスにとって必然的に真であるもののみが真であり、それがファルスの享楽なのであるが、ファルスにとって不可能な享楽は、必然性のみにかかわるファルスにとって存在しない。〈女性〉La femmeは存在しないからである。必然性のレヴェルにおいては前件も後件( ce soit celle‐là )も偽である( il ne faudrait pas )。※注1)
しかしながら S'il y en avait une autre que la jouissance phallique,il ne faudrait pas que ce soit celle‐là といった複合命題そのものは真となる。女性の享楽、〈他者〉の享楽は、ファルスによって示される必然性の様態においては偽であるが、他の様態のもとでは真となるからである。※※ 注2)
※ S20 p.56,. ※※ ibid p.78‐79,.

注1) さらにラカンは必然性のもつく虚偽的事実をしめすたfaux「虚偽」といった語で戯れ il ne fauxdrait pas とも表記する。 ibid.
 
注2) 様態論理と質料含意の同様な組み合わせにより、ラカンは、アリストテレスの述語 (この述語を後代の注釈家は「何性」quidditasといった単語に訳したが、Triot,J. によれば、 字義に即した訳は「ある存在がそれがかってそうであったように今もそうあり続けているということ」 le fait pour un être ce qu'il était となるとされる )を次のように訳している。「もしあるべくしてあるものがあることになるとしたなたば、つくりだれることになるだろうもの」 ce qui serait prduit si était venu à être,ce qui était à être.因みにこのラカンの原文は条件法になっており、それは質料含意に対応するものである。古典ギリシャ語におても条件法はフランス語と同様、前提節の動詞は未完了過去(フランス語の半過去に相当)が用いられる。「ある」εινιの三人称単数未完了過去ηνはフランス語ではétaitにあたる。ラカンの訳は決して恣意的なものとはいえないのである。
をこのように訳すことにより、ラカンは、アリストテレス以来の存在論において必然的に真理とされてきたものに対してラディカルなアンチ テーゼを投げかけているのである。以上の問題については第5、6章 「ラカンとアリストテレス」(1)、(2)を参照のこと。
 
以上、ラカンの性的(無)関係の(非)論理において、様態論理が実質含意によって条件付けられてきたことまで 述べてきたが、量化命題と様態論理との関係はどのように規定されるのであろうか。このことに回答を与えるまえに、伝統的論理とラカン論理との違いを再度検討してみよう。
伝統的論理においては、全称命題は普遍判断(「全称」、「普遍」ともallgemeinあるいはuniverselの訳語である)、特殊命題は存在判断にかかわるものとして扱われてきたが、たとえば全称肯定命題 ∀xf(x)は「すべてのxがf(x)を満たすものである」を意味するが、これが普遍判断とかかわる以上、普遍はf(x)を満たすxという存在者の存在が前提とされてきた。