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超越論的感性論の批判に関連してですが、小生が重要と思う箇所を、だいぶ先のセッションからの部分ですが、先取りして、載せます。


p.218-220 (p.291-294) [MERCREDI 22 MAI 1963]

 眼の次元に立ち戻りましょう。つまり、空間の次元にです。空間といっても、あるカテゴリー、超越論的感性という硬直した形式のもとに提示される空間ではありません。たしかに、カントへの準拠は、われわれにとっても、極めて有益とはいえないものの、少なくとも極めて都合よくことが運ぶようにできていますが。そうではなく、それとは別の、空間が、われわれに、欲望との関係において特徴的なかたちで示される場合です。
 欲望そのものの機能の起源、基、構造は、あるスタイル、ある型においてその都度説明されるべきです。中心に据えられている件の対象、小文字のaは、単に分離されたものとしてではなく、省略され、欲望がこれを支えるその場所とはつねに離れた場所にあるものですが、それでも欲望はこの対象と深い関係にあります。この省略といった特徴は、眼の機能の次元においてほど截然と現れてくることはありません。それゆえ、欲望の機能を全面的に支える幻想は、常に、視覚的モデルとの近縁性で示されるのです。
 空間においては、それでもーそしてこのそれでもという言葉で、言うべきことは余すことなく言うことを含ませてーみかけ上は、なにも分離されないのです。空間は同質なものです。われわれが空間という語で身体、われわれの身体を構成し、そこから空間の関数が現れますが ・・・ (sic) 観念論ではありません。否です。なぜならば、空間は精神の一関数une fonctionなのであり、つまり空間がバークリー主義をも正当化してしまうようにです。空間は断じて観念ではありません。空間は、なんらかの関係性をもっていますが、精神と関係しているのではなく、眼とです・・・ (sic) この眼の玉にも役割foctionがあります。なんのかですか言うと、それはぶら下がっているのです。この眼の玉、われわれが空間を構成するや否や、われわれは、いわば、この眼の玉を圧縮して無に帰してしまわなくてはなりません。物理学者がするように考えてみてください。物理学者が、黒板に、ある物体の関数を、この黒板の広がりのなかです、示すようにです。ある物体、物体ならなんでもよいのですが、それはなんでもないものですÇa n'est rien。それは点です。それは、それでも、異質ななんらかのものによって、空間の諸次元のなかに閉じ込められているはずなのです。そうでなければ、個物化/非可分化individuationの解決不可能な問題を生んでしまうのです。わたしがこのアンティノミーを問題外として無視の態度を取ってきたのをご存知でしょう。
 空間のなかの物体、それは、少なくとも、不可入性というimpénétrable(unduchdrinlich :Kant)1)性質で示されるものです。そこにはある種の実在論が見受けられますが、これはまったく手に負えません。ご覧のとおり当然の成り行きなのです。だからわたしはカントのアンティノミーを繰り返すようなことはしないのです。空間を関数化することは、この分割不能な単一性を、点として捉えるとしても、やむないことですが、これをアトムと呼ぶことになります。もちろん、この名称を、物理学で用いている同一の用語と一緒にはできません。ご存知のように、アトムはけっしてアトミック、つまり分割不能ではないのですから。
 空間という概念は、究極の分割には抵抗を示すといった措定以外に存在理由はありません。当たり前のことですが、空間は、不連続性を仮定するとき、つまり単一性が一度にふたつの地点を占めるということがないとする場合のみ有効な概念として働くのですから。

1) カントによれば、この不可入性は感覚に属する、すなわち経験的直観に基づくとされます。ラカンがcross-capで示している相互貫通線ligne d'interpénétrationはこのような古典的物質観では捉えることができないものですが、トポロジーでははめ込みimmersionとして示され、いわゆるトンネル効果、リーク電流といった現象は、このようなトポロジー的発想により説明しうるものでしょう。 

以上のことから、われわれにとって、なにが言えるのでしょう。こうです、この空間的単一性を認めるわけにはいかないということです。しかる場所に位置し、他のところには移らない点として示される空間的単一性は、小文字aとはどうあっても相容れないものです。
 いまわたしはなにについてあなた達に話しているのでしょうか。わたしは、今からでも、耳では聞き知っている捕獲網のなかにあなた達を突き落とそうと思っているんですよ。つまり、i(a)の形で表されるわたしの像mon imageがあり、 <他者>の前にわたしが居て、そこには余りresteはないということです。わたしには、そこで、わたしが失ったものを見出すことができないのです。これが鏡像段階の意味するものです。この図式の意味は、あなた達のために捏造するためでして、この図のどこの場所であるか、もうすっかりお分かりでしょう。ことわるまでもなく、図は、理想自我と自我理想の機能の根拠を示すためのものなのですから。これらの機能はどのように働くのかと言いますと、主体と<他者>との関係において働いており、鏡の関係、この鏡を<他者>の鏡と呼ぶことにしますが、この関係が支配しているときに働くのです。
 この像aは、そのかたちからi(a)、つまり鏡像でして、鏡像段階において特徴的な対象であり、誘惑以上のものを持っており、各主体の構造にだけでなく、認識の機能にも結びついているのです。つまり、この像は、閉じたものであり、いうならば、囲まれたものなのです。また、ゲシュタルト的、つまりよいかたちに描かれているのですが、よいかたちの経験、この領域に特徴的な経験ですが、この経験によって築かれたゲシュタルトの機能は、罠が仕掛けられているということを警告もしているのです ( ・・・ )
( ・・・ )ここです。この眼を通して、われわれが究極のまなざされる存在となり、そこで示されるのは、欲望の場所で、この欲望が見下ろすcommanderヴィジョンのなかで、どのように不安が現れるのかが示されるのです( ・・・ )
( ・・・ ) Zéro du petit (a), c'est là par quoi le désir visuel masque l'angoisse de ce qui manque essentiellement au désir, de ce qui vous commande, en fin de compte, si nous restions sur ce champ de la vision, de ne saisir, de ne pouvoir jamais saisir tout être vivant que comme ce qu'il est, dans le champ pur du signal visuel : ce que l'éthologie appelle un dummy, une poupée, une apparence.

( ・・・ )小文字のaのゼロ、ここからなんです。欲望には本来欠けているものへの不安、それでも、視覚という領域にこだわるとすると、人間を、単なる視覚的信号領域のなかでのみ存在するものとして捉え、そのようにしか捉えることができないように導くものへの不安、こうゆう不安に視覚的欲望はマスクを掛けるのです。このようなものを、エトロジーではダミー、人形、うわべだけのものと呼びます(V.A.P.220)。

dummy : n. 型見本、マネキン、(他人の)手先、替え玉、ロボット的存在、ばか、まぬけ、だんまり屋、おしのふりをする乞食、ゴム製乳首、男性器、酒(ビール)の空き瓶、タバコの吸いさし、(サッカー、ラグビーの)フェイント、だまし adj. 模型の、人工の、まがいの、v. 模型で見せる、見本でしめす、ダミーで騙す ・・・ といった語義があります。


aのゼロ、ここで視覚的欲望はしばしば、欲望にはそもそも欠如があることから発する不安にマスクを掛けます。このことは、人間を、単なる視覚的な信号の領域においては、エトロジーでいうdomi,つまり人形、うわべだけのものとしてか捉えないように命じます(V. M.P.294)。


eidosともいえるこの像がまやかしであることを示すには、この像に黒子を、しみを描き入れれば十分です。この点がaであり、ゼロの点に凝縮されたものであり、サルトルが『存在と無』のなかで言っている「まなざし」でもあります⇒quatre concepts fondamentaux ・・・ 想像界への緩衝帯butee imaginaire ・・・ 盲人の眼の白く淀んだ目(白内障の進行した水晶体) ・・・ フェリーニの『甘い生活』Dolce vitaの最後のシーンの浜辺に打ち上げられたエイの眼、海のものla chose marineの動かない眼l'?il inerte,飛蚊症la mouche volante、パラナの女性の入れ墨(Lévi-Strauss, ≪Anthropologie structurale≫、飛蚊症(文字通り、視覚領域に現れるシグナルである)と連想が展開されます。(2008/01/18)