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la Verleugnung(否認)の試訳

» 拙訳 la Verleugnung についての論文に関して はコチラ

Jacques Adam dans Champ lacanien 2005/1(no2), pp.257-264
https://doi.org/10.3917/chla.002.0257

原注 : 1~12);訳注 : ※~※※※※※※※※※

die Verleugnungはフロイトが用い始めた用語、概念(フランス語では«déni»と訳されることが多い)であるが、他のいくつかの用語同様、フランス語への定訳やその概念の外延がどこまで及ぶのか、決められないまま等閑にされてきた。
ある新しい用語によって新しいディスクールがフランス精神分析史において現れるや否やこれをめぐるアプローチはしばしば茶番劇となった。長いこと、Über-ich「超自我」をどう訳すのか(«sursoi»であったり«surça»であったり«surmoi»となったりという次第で)エドゥワール・ピションが代表を務めていたパリ精神分析協会(S.P.P.)の精神分析用語統一委員会は右往左往の状態にあった1)。

1)cf. Revue française de psychanalyse, 1927, Tome1, no. 2

ついで、曖昧ながらも共通パス的なフランス語訳をということで、マリー・ボナパルト等、そしてラカンも一役買って出て、フロイトへの回帰をスローガンにいくつかのキーワードがその基本的概念に当てられることとなった。例えばVersagung2)はfrustrationではなく、Verwerfungはforclusion(日本語訳はほぼ「排除」に統一されている)でしかなく、「判断の拒否でもあるし採択でもある」という意味にはならないし、またVorstellungsrepräsentanzはreprésantant de la représentaion(日本語訳では精神分析用語辞典で「表象-代表」が定訳となっているようであるがラカンのQuatre concepte…『四概念』を原語で読むとそう訳すのもやや変であると訳者は思う)といった次第にである。

2)cf. Christien-Prouët C., 同掲雑誌内。日本語訳でも複数訳がある(訳者)。

Unbewußt「無意識」を大胆にもune-bévueさらにはparlêtreとまで言い改めてしまうラカンではあるが、Verleugunungについては、より慎重で、当初行き渡っていた仏訳désaveuを退け、1967年の初版vocabulaire française de la psychanalyse3)が採択した(現実réalité - この日本語訳も難しい。le réelを「現実」と訳すのだから「現実性」と訳されることが多いのだがこれはおかしい。ラカンのla réalitéは抽象名詞ではない。語義的にはひとが「現実」le réelだと感じていることが実際にはfantasme「幻想」〔これも幻想がいいのか空想がいいのか?いっそのことファンタスムと片仮名にした方がいいのでは…〕に過ぎないもの = 訳者 - の)déniも黙殺し、最終的にはdémentiといった訳に落ち着くこととなった。Verneinung(dénégation「否定」とVerwerfung※に挟まれたかたちで、Verleugnungという語は幾多の名称上の論争を経て、(神経症、精神病あるいは倒錯におけるメカニズムなのかという)臨床上、基本的な諸問題、そしてなによりも(否定la négationのロジックである)理論上の諸問題を提起するものである。

3)Laplanche J. et Pontails J. B., Vocabulaire de la psychanalyse (邦訳『精神分析用語辞典』、みすず書房)

※ forclusion「排除」というフランス語訳はセミネールIII巻の最後のセアンスで漸く現れる。それまではドイツ語Verwerfungで通しているが、フロイトの『狼男の症例』を原語で読むと、これをテクニカルタームとして良いのかどうかやや迷うことがある。例えばフロイトはこれを動詞で表し、過去分詞形vorworfen〔時制は別として受動態で用いられていることが多い〕が多く出てくるがこの動詞の実詞形Verwerfungという語は«aus der geschichte einer infantilen Neurose»には一度も出てこないものと思う。一方で、Verneigungの論文にはVerwerfungsurteilという語を見いだすことができる。これはラカン批判というわけではないが、強引なところで最たるものは、Freudがそれほど重点を置いて述べたとも思えないeinziger Zugをtrait unaireとして定着させた例であろう。ラカンはアンティ・フロイディアンである側面も多く持っている。あくまでラカンはラカンであり、ラカ二アンは数多くいるがラカンが最強のラカ二アンであることは確かである。

用語のバベルの塔

déni, déciment, reniement, désaveu, démenti, louche refusと、フロイトが人間の主体のある状態を記述するために用いているVerleugnungという語に当てるため続々と仏訳語が現れるのであるが、この主体の状態について、ラカンの意見は無視できない。かれはこのVerleugnungを支柱として分析的行為l’acte anlytiqueの論理的概念を構想していったからである。この歩みも大胆といえるが、ラカンの教えの流れから見てみると、すべての問題提起がこの語から発しており、明らかなことは、この語を扱うことによってフロイトの経験にある真理と現実le réelの重要性がこの語の重要性に重なっているということを説くためにラカンは一意専心していったのだ。

Verleugnungというかくも抽象的な語はなにを表しているのであろうか。抽象的とはいえ、具体的な人間の態度を示してもいるのではないであろうか。例えば嘘がそうであるが、嘘をつく態度とは人間の主体が真理との関係において示す態度だといえないだろうか。語源は導きの糸となるかもしれないが、語源による証明4)なるものには用心が大切であり、もしKarl Krauss5)からアドヴァイスを受けたいのなら、「ある言葉を間近で見ようとすればするほど、この言葉はあなたを遠くから眺めることになる」となる※※。

4)Jean Pauthanの本のタイトルのひとつにLa prouve par l’étymologieがある(Jean Paulhanの間違いであろう。ラカンはIdentificationのセミネール〔28/03/1962〕においてJean Paulhanを高く評価している - 訳者)

5)フロイトと同時代人であるのウィーンの風刺作家、ジャーナリスト。「炬火Die Fackel」誌への投稿は知名度が高い。

※※ たしかに、leugnenとlügen(嘘をつく)が同根であるような示唆の記述をKluge, Etymologisches Wörterbuch der deutische Spracheに見出すことができる。

Verleugnungはフロイトの分析用語のひとつでもあるが、初期の著作からして、日常語としても用いられていた。例えば一方では、「ドラはK氏の恋人となることを自分に許すことができず頑なに頭を振ってきたs’obstine à nier(下線=訳者)」 、「誰でも、催眠による暗示により、その人の目の前に存在しているのが歴然としているのに『ない』と言うnier l’existence d’une chose」(陰性妄想hallucination négativeとしてよくみられるケースである)、また一方では、「文明は原始住民における父親の殺害の途方もない否認déniによって開花する」とか「誰でも死の現実la réalité de la mortを前にして、これを同時に認めながらも否認するという二重の態度をとる」といった記述(最初のものは『ドラ』の症例からであるが、二番目のものはどこらかの引用なのか訳者には分かりかねる。三番目は『トーテムとタブー』であろう。四番目は『神経症及び精神病における現実の喪失』〔1924〕か。訳者が検索の手間を省いたことをここでお詫びする)が認められるが、当初、このようにフロイトが、日常語として当たり前に使っていたこの用語であるが、最晩年になって漸くその特殊な心的機制が俎上に上るのである。

※※※ abnégation(Dictionnaire historique de la langue français ‹le Robert› によると接頭辞ab〔あるいはa〕〔この辞書ではàの項目に入れられている=訳者〕は分離séparation、離脱détachement、始原origine、動作主agentのしるしであった〔11-12世紀〕。abはapudから来ており、寧ろ現代ではdeやavecといった前置詞に一致し、法的関係〔842〕、ついで同伴accompagnement〔10世紀〕の意味で使われていたが、現在はこのような用いれられ方は皆無である。abnégationはキリスト教ラテン語abnegatio〔聖ヒエロニムス〕、renoncement〔禁欲、世捨て等の語義あり=訳者〕。ついで哲学用語として用いられるようになるが、négationと同義であった。15世紀末においてはreniement、16世紀になるとabnégation de foi〔ということはreniementと同義で信仰の否認あるいは放棄を意味している=訳者〕、abnégation de soi-même〔CNRTLによると、vertuの語義としての用例として、La bonté, cette charmante qualité, entraîne souvent à l’abnégation totale de soi-même, et c’est à vos amis à s’occuper de vous lorsque vous vous oubliez, G. DE STAËL, Lettres de jeunesse, 1785, p.47とあるが、wikipédiaでアンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール、フランス語では単にGermaine de Staëlとなっているが、ここではタイトルがJournal de Jeunesseとなっている。語義は献身とも読めるし私利私欲の放棄とも読める。

※※※※ラカンの主体の分裂はdivision du sujetであり、ラカンはこの「分裂」をしばしばSpaltungというドイツ語で示す。つまりラカンにとってはdivision=Spaltungであるが、フロイトがIch-spaltungという語ももちいるとき、このIchは「自我」le moi であり、フロイトの「自我の分裂」とラカンの「主体の分裂」はまったく別ものであるはずである。

動詞verleugnen(nier, désavouer, démentir)はverという強意を示す接頭辞によって強い否定の態度の語義をもつが、そこに曖昧さを指摘する向きもあり6)、このverとleugnenという動詞の結びつきは根底的な否定、つまりrejet拒絶の意味が含まれており、例えば、sein Vaterland verleugnen, renier sa patrie(祖国を捨てる)、Gott leugnen, nier l’existence de Dieu(神の存在を否定する)、eine Schuld leugnen, nier une faute(過ちを認めない)〔なぜここに接頭辞verをつけないleugnenの語例を並べているのか奇妙である=訳者〕、der Verleugnet, le renégat(背教者、変節漢)等々を挙げることができるとしている。ところでこの否定、異議、根底的拒絶はなにに対して向けられているのか。真理、真に対する肯定に対してである。たしかに動詞lügen, mentir(die Lüge, le mensonge ; der Lügner, le menteur)はVerleugnungの語源の世界のなかに含まれてはいる。

宗教とは常にコンプレックスがないものである。少なくとも真理の問題についてなんの屈託も無い態度に味方をするのである(下線=訳者)。その証拠には、この真理が選ぶ否認Verleugnungは、ドイツ語においては少なくともそうであるが、人間が真理の道を辿ろうとするとき、この人間特有の弱さゆえの悲劇の瞬間を指し示す。言いたいことは、「ペトロの否認」の瞬間のことである。複数の福音書にあるこのパッセージをJ.S.バッハは二つの受難曲にありのまま、見事に描写している7)※※※※※。

7)イエスは使徒ペトロに、かれがそれを否認することを予言している。

※※※※※まず各福音書には、イエスがペテロに対して「わたしのためには命をも捨てるというのか。今日、鶏が鳴く前にお前は三度わたしを知らないと言うだろう」と、キリストの弟子ではないかとユダヤ人たちやピラトに問い質されたとき、かれがこの事実を否認するであろうと予言する場面が書かれている。バッハのヨハネ受難曲では第1部第8 -14曲がこの三度にわたる『ペトロの否認』についてのはなしであるのだが、第2部になり、コラールにより、キリストが「時代を超越した偉大な王」と歌われる件に続き第18曲はレシタティーヴォでピラトとイエスの問答に繋がる。

第 18a 曲 レシタティーヴ
Da sprach Pilatus zu ihm omae:そこでピラトは言った。
Pilatus : So bist du dennoch ein König ?ピラト:それでは、お前はやはり王なのか?
Jesus antwortete :イエスはお答えになった。
Jesus : Du sagst', ich bin ein König. Ich bin dazu geboren und in die Welt kommen, daß ich die Wahrheit zeugen soll.イエス : わたしが王だとあなたが言うならば、そういうことにしておきましょう。私は真理について証言するという使命を与えられて生まれ、この世にやって来ました。
wer aus der Wahrheit ist, der höret meine Stimme.真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。
Spricht Pilatus zu ihm :ピラトは言った。
Pilatus : Was ist Wahrheit ?ピラト:真理とは何か?
Und da er das gesaget, ging er wieder hinaus zu den Jüden und spricht zu ihnen:ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て言った。
Pilatus : Ich finde keine Schuld an ihm.ピラト:わたしはあの男にいかなる罪も窺うことができない。
Ihr habt aber eine Gewohnheit, daß ich euch einen losgebe:ところで、お前たちには、過越祭に誰か一人をお前たちに釈放するといった慣例があるだろう。
wollt ihr nun, daß ich euch der Jüden König losgebe ?あのユダヤの王を釈放してほしいか?
Da schrieen sie wieder allesmt und sprachen :すると、彼らは、大声で言い返した。

ピラトの思惑に反し、ユダヤ人たちはバラバを釈放するよう、そしてイエスを磔刑に処することを要求する。

フロイトとともに

Verleugunungを巡って、フロイトの業績を辿ってゆくと、この語がフロイトの用語全体に干渉作用をもたらしており、この干渉作用は常にかれにつきまとっているある厄介な課題に呼応するものであることに気づかされる。このことは第一局所論において既に認められ、死の欲動の導入時においても例外とはならない。この課題とは、無意識は巧妙に自らをまぬかれ、性差にも耐えているのだが、その様を説明するために相応しいことばを突き止めることにある。

そのためにはふたつの極、主体の極と現実la réalitéの極、そしてそれ等の関係性を明らかにすることが必要となる。またふたつの軸、つまり「小児における性の組織化」の発達の軸と臨床(神経症、精神病そして倒錯)の軸も考慮しなくてはならない。これ等の概念の理論的な結びつきの完成を見るのには、フロイトの晩年の論文において、これ等が究極的なかたちで表現されるまで待たなくてはならない。その論文、『防衛過程における自我の分裂』をラカンは文字通り細心の注意を払い扱っている。事実、フロイトにあっては、防衛という用語によってこそ、Verleugnungという用語は足場を見出すことができるのである。Verleugnungは、不快な現実réalité(つまり外界)に対する防衛であり、自我に、この現実を退けdénier、快感原則の名の下に、幻想的ないし妄想的現実réalité fantasmatique ou délirante、神経症における現実la réalitéと精神病における現実la réalitéに置き換えることを強要する(『精神過程における二原則の定式化』、1911年)。同様にこの防衛は抑圧を通して働くともされる。フロイトによれば、抑圧は、無意識的自我というものが導入された後、自我がエス由来の欲動の危険が招く内的葛藤に対して働くものとされるが、第二局所論によって論じられているいくつかの重要なテキストにおいても、精神病においては、さしあたり「抑圧と似たような」特別なメカニズムが存在しない以上、自我は外界に対しても身を守らなくてはならないことから、フロイトは再度Verleugnungを持ち出す。Verleugnungによって、自我は、その適応力のある統一性を失うことを受け入れることとなり、「自ら亀裂を入れ、分割される」こととなる。このメカニズムをフロイトは、さらに探りを入れ、われわれそこに自我の分裂(『神経症と精神病』、1924年)といった概念が前提となっていることを容易に窺い知ることができるのである。

この論文におけるフロイトは、直近で自らが明かした発表をなぞることに甘んじている。すなわち「(神経症においては=訳者)自我は現実la réalitéを否認してはいない。ただ見向きもしないのであるすとる。一方で精神病は現実を否認しverleugnet他のものへ置き換えようとする」(『神経症および精神病における現実la réalitéの喪失』、1924年)と繰り返す。この点において、1965年以降のラカンのセミネール受講者は、Verwerfungについてのかれの精神病論への貢献に対して異議を挟み、引き下がらなかったのであるが、このVerwerfungは「精神病に起こっていることに見事に合致する」(1968年6月19日の講演)のである。ラカンのフロイトへの回帰は間違っていたのではないか。臨床的には大失敗bévueなのではないか。断じて違う。なぜならば、ラカンは誰よりも先んじてフロイトを読み込んでいたからである。先んじていた、然りである(1927年の『フェティシズム』を熟読していたのである)。フロイトは、1924年に提示した問題の答をここで用意していたのである。すなわち抑圧とは異なるメカニズムであり、この下では無意識は現実la réaliteをするりと身をかわし自己充足しまうのであるが、このメカニズムをフェティシズムが裏付けているのである。女性にはペニスが存在しないという現実la réaliteを前にして、一般的には男子に場合においては、実際には存在しないことを認めながらも女性にもペニスがあるもと信じているのである。かれにも同じことが起こりうる(想像的去勢)と想定したうえで、欠如した対象の場所に象徴的な意味あいを持たせフェティッシュを形作るのを義務づけるような立場に身を置くことになるのである。

いずれにしてもVerleugnungは防衛機制のひとつであり、去勢不安に対する防衛だとすると、フェティシストはこの立場を利用して勝利を勝ち取るのだが、つまり、フェティシストにおいては、自我(知覚 - 意識を担う器官)が去勢の現実la réalitéを信ずる部分と信じない部分を同時にもたねばならないのである。自我の分裂とはこのことなのだ。フロイトにとって、推論の妥当性が証明され、自らが行った弁別、抑圧と否認(déni, Verleugnung)が有効であることを認め、抑圧においては情動の問題であり、否認においては知覚と表象が問題なのだと説明しており※※※※※※、このことがラカンが後に対象aを論理的に構築するために極めて重要なものとなるのである※※※※※※※。フロイトはこれらふたつの防衛メカニズムの違いを述べたことで満足していた訳ではない。さらに緻密な探索を求めている者ならばそうするが、この点ではラカンも同様であった。1936年、ロマン・ロラン宛に書いた手紙「アクロポリスでの記憶障害」について、フロイトの自己分析によれば、かれが現実にこの地に来ることができたことはかれの願望が叶ったものと思いながらも、「その思いの拒絶」を、これを自我の欲望の否定の可能性とその際起こる離人症とは異なる(現実に対する)違和感に照らし合わせ、この感覚から、欲望の実現la réalitéに直面したときの自我のあらゆる防衛の可能性について、それらが妥当しているかどうかを検証している。自我は抑圧以外のことも行っている。しかしながら「正常な」知覚の第一歩を犠牲にするかもしれないが、自我の分裂を、自我障害の副次的病理によって説明することはできず、その時々の自我の状態、その構造上の事実とみなされる。

※※※※※※(伝統的な)ラカ二アンとしてはこの記述はおかしいのではないであろうか。抑圧されるのは情動そのものではなくその代理(代表)である表象、これはまた欲動の代理(代表)でもある、情動そのものは抑圧されることはないとする、少なくともフロイトの用語解説としては世界的にスタンダードとなっているラプランシュとポンタリスの『精神分析用語辞典』(本辞典にもラカンの影響力が働いていることは無視できない)にはない解釈である。ラカンの説明も同様である。因にラカンは情動は漂うだけとして、これをdériveと訳しているが、欲動の英訳driveと語呂合わせしたものと訳者は思っている。ただし、表象代表Vorstellungsrepräsentanz については、(ラカン自身、この語がわたしのシニフィアンの概念に一番近いとしているが)、そうだとすると、これは少なくとも伝統的に哲学用語、心理学用語としてのVorstellung, représentation「表象」とはまったく異なるものでなくてはならない。しかしながら、そうだとすると、代理(代表)する表象とは表象そのものだというしかないし、そうだとすると代理(代表)するreprésentanteあるいはreprésentativeという語は贅語だということになる。アンドレ・グリーンはラカンの情動軽視に対して一貫した批判を行なっている。あるいは、新たなラカ二アン、ときにラカンについても批判的なコメントを厭わないウェーヴが誕生しつつあるということか。École de la Cause Freudienne(いろいろ調べてみたが、このCauseというのは、日本語で「大義」と訳されて、もしそうだとしてもフロイトの大義とはいったい何なのか。あるいはフロイトに対する大義なのか。納得ある説明に出会ったことはない。AFI, Assicuation Freudienne InternationaleがALI, Association Lacanienne Internationaleと改名され - 訳者はこれはまっとうな動きだったと思っている。ラカンはそれほどフロイディアンではないのだから)

※※※※※※※前段における誤謬からの帰結がこの記述に現れていると言えるのだが、結果として、これではラカンのシニフィアン理論の批判、対象aについての批判という点で、アンドレ・グリーンの主張と重なってしまっている。

1937年の論文『分析技法における構成の仕事』Konstruktionen in der Analyseのなかでフロイトは、この論文の主要なテーマからやや外れ、神経症と精神病とのあいだには臨床上の違いがあり、推測の域は出ないが、本来的な意味における妄想は、(受入れ難い)現実la réalitéは他のものに置き換えられるのだが、この場合この置き換えは否認され、実際のところ、否認という現象は幼児期において否認された現実の反復の結果なのではないだろうかと自問する。これを確かめるためには、欲望が何に向けられているのか、両者におけるその違いを見極めねばなるまい。しかしながらどちらも同じ結果となるのである。つまり、ヒステリー者の場合も妄想患者と同様、レミニッセンスで苦しんでいるのであるから。だからといって、フロイトが神経症と精神病を重ね合わしているわけではない。症状形成のメカニズムの違いが重要なのであり、ただこれらが心的装置の機能上同じ法則に合致していることになる。

最後に1938年の論文、『精神分析概説』、『防衛過程における自我の分列』においてフロイトは、「否認」Verleugnungの概念に最後の仕上げを施す。抜け目ないやり方で、現実la réalitéは否認と承認とのあいだを行ったり来たりすることになるのである。

ラカンとともに

Verleugnungといった用語上の問題を超えて、バベルの塔的混乱を克服すべき、65年までの数年間、ラカンのセミネールの場でも多くの論議を呼ぶこととなり、その後も混乱は続くのだが、négation, contestation, rejetといった語は、65年にほぼフロイトの用語、Verneinung(否定), Verleugnung(否認), Verwerfunng(排除)にほぼ割り振られて収束する。これらの語は存在の否定的諸様相であり、自己、真理、その他の肯定の様相であるBejahung(肯定)に相(あい)対している。フロイトはというと、診療的観察をベースにしながらも、このような見方はできなかった。フロイトにとってはVerleugnungという語は抑圧Verdrängungとの比較においてのみ有効なものなのであるのだが、当の抑圧は基本的な防衛機制でありながら、心的装置における唯一の防衛機制ではなく、単なる否定nétationに帰着させることはできない。否定的négatif様相そのものが曖昧なのである。

ラカンはこのような曖昧さを排し、最終的にはVerleugnungの訳語としてdémenti8)という語を採用するに至り、跡形がないようにみえる「陰微な拒絶9)」に道しるべを立て、Verleugnungという語がこれに筋道を与えている格好の語であると看成しているのである。精神分析が(自重してか?)Verleugnungを現実の否認déni de la réalitéとのフランス語訳に止めていたことが読み取れるのであるが、これもフロイトの1938年の論文の自我の分裂と無意識の主体の分裂線barreを意識していなかったためでもある。

8) エール大学での講演、Scilicet, n° 6/7 、および1975年11月のEEP大会の閉会の辞、EEP会報24号

9) ラカン、J., 「学派の分析家についての1967年10月の提言」、Autres Écrits, Paris ; Seuil, , 2001, pp. 245-259

ラカンは文字の配列を組み替えることを厭わず、新しく採用された訳語に対し蘊蓄を傾ける。かれの教養の深さから出ているのだろうが、ドイツ語Verleugnungの背教的語義も取り入れる。まずdéniement という訳語(かれは新造語も厭わない)をフェティッシュとの関係から認められる主体の立ち位置を考慮して用いる(セミネール『対象関係』、1956-57)。ついで『シリセット第一号』の巻頭言にreniementという訳語が採用され、フロイトによる無意識の発見と性愛との関係についての事実を目の前にした精神分析家の立ち位置が述べられる10)。 そしてまさにこのことでなのだが、Verleugnungを巡って、ラカンは激昂して述べているのだが、かれの弟子たちが、排除forclusionと否認démentiを混同しており、このVerleugnungの概念についてのアプローチと提唱されるべき仏語訳について、かれらがラカン自身の方針に従おうとはせず、これはフロイトが発見した真理に対する裏切りreniementの表れだとする。ラカンそのひととかれの独自の分析の実践(これがもとで、かれは1964年における「破門」excommunicationを言い渡される)とは切り離されているforclosと看做そうと努めたが、かれ自身は確信しており言っている。かれの教育(とその成功)はかれの名とかれの実践に対するその示し合わせの排除rejetからの現実le réelへの回帰なのだと11)。これに相応して、フロイトのフランス語版用語集に忠実にrejetとかrefusとかを従来通りに解釈してきた者にとっては、Verleugnungをreniementと訳し、これが分裂(division, Spaltung)の結果生ずるものであるとする立場を取るグループは破滅的な効果をもたらすものとなった12)。

10) このことは形を変え、こう述べられる、「精神分析家は、自分たちが無意識の賜物であるとは欲しない」。

11) Scilicet, n° 1, p. 7

12) 以下のような疑問も生じてくる。ラカン派グループの今も続いている、度重なる離反分裂の傾向も隠微でラカンの教えを否認するrenier傾向から来ているのではないか。歴史がこれを証明することとなるであろう。

フロイトは否認Verleugnungと否定Verneinungを丁寧に区別しているが、排除rejet, forclusion(独語Verwerfung)についてはその限りでない。否定とは抑圧されたものの承認であり、知的には承認しているのだが感情的には認めたくないとする態度である。主体は抑圧を引き起こしたものが何なのか解ろうとしない。主体はなにかを認めているのだが、それを「そうではない」と言いながら認めるのであり、これは無意識が強要する巧妙な知なのであり、否定という方法をもってでしか知を表明できないのであり、つまり抑圧を通じてでしか表明できないのである。否認Verleugnungはこれとはまったく異なる。ふたつの相反する事象を独自のやり方で両立させることであり、これは「隠微な」louche、策を弄する知であり、現実la réalitéの異なる二方向への藪睨みloucherである。フロイトは一方では無意識の無-矛盾とは別に、無意識のもつ否認という矛盾をも導入したのである。否認においては、yesとnoが排他的ではなく両立するのである。

これを踏まえて、ラカンはセミネール「幻想の論理La logique du fantasme(1966-67)において、聴講者に対して、その前年のセミネール(「精神分析の対象L’objet de la psychanalyse, 1965-66」についての理解を促し、次年度、1967-68のセミネール「精神分析的行為L’acte psychanalytique」を無念にも中断しなければならないことを告げている)。フランス国内における68年5月の出来事が影響しているのだが、この空白を利用してラカンは「学派の精神分析家についての提言Proposition sur le psychanalyste de l’École(67年10月)の講演を行っている。

この年度は1965年12月、高等師範学校において、対象aについての発表に対してのアンドレ・グリーンとの討論によって蓋が開けられる。グリーンはフロイトの「否認Verleugnung」に依拠しながらラカンの情動の概念についての考え方に意を唱える。グリーンが言うには、情動はシニフィアンの抑圧と関連した動きを持たなければ意味がない。これが宙づりになっているのだとしたら主体の到来も同様に宙づりのままであるはずだ。一方で否認のメカニズムで起きているのは知覚の現象に限られる。表象されるものは、シニフィアンとは異なり、抑圧の対象にはならない。だからフロイトは抑圧とは異なるメカニズムである「否認Verleugnung」を考案したのだ。「否認」は「分裂division」において、知覚を原抑圧の吸い取りポンブの埒外に位置付けているのだ、と。

論争は残念ながら、ラカンを擁護する立場から助け船として、C. スターン、Ch. メルマン、C. コンテが参じてくるのだが、論点がずれてしまい、「是 Bejahung」絶対的なyesの問題へとすり替わってしまう。かれ等の弁護によると、分析家の立ち位置とはこの「是」を代理するものであり、つまり、無意識が弄するあらゆる「否」(抑圧Verdrängung、否定Vernainung、否認Verleugnung)を退け肯定する者たるべきだと主張する。

ラカンの見方は別なところにある。フロイトから来ているVerleugnungの問題を知を想定された主体へと結びつける。1968年6月にかれは明かす。言いたかったことは、このVerleugnungと分析家の立ち位置との関係を説明することだった。分析的行為とは経験によって得られるとする知を否認するdément(verleugnet)ことであり、ここに分析家が行為に及ぶに際して根源的な分裂divisionが宿っているのが露わになる。この行為についてラカンはさらに、恐怖をすら感ずると言い及んでいる。この行為が「隠微な拒絶louche refus」、性差の拒絶に照応するような拒絶が刻み付けられているからである。さらにこの拒絶とは主体であることの罷免、分析における経験と行為に固有のdésêtre※※※※※※※※にみる拒絶であり、去勢の事実についての拒絶、分析家養成において働く現実le réelの拒絶でもある。

※※※※※※※※ この語は1972年6月21のセミネール…ou pireで見出すことができる。

われわれはわれわれの患者の兄弟なのです。なぜかというと、患者と同様、われわれもディスクールの息子だかれであり、また、わたしが対象aとについて示す効果を演じているからです。この対象aによってわれわれはdésêtre、支えでもあるが、ゴミ、唾棄すべきもの、になるのです。ゴミにすぎないのですが、有難いことに、「言 dire」から生まれ、この「言」は解釈するものというおまけは付きますが。といっても、もちろんのことですが、これには助けが必要で、これがあるから分析家は免許皆伝なのです。転移の対象となる資格があるという支えが与えられているからなのです。知によって支えられ、これは真理の場所に居座っていることにより、あらゆる知の構造がどのようなものであるのか、ノウハウsavoir-faireから学の知に至るまでです、知として問われることが約束されているからなのです。

しかしながらdésêtreそのものの意味はというと、セミネールXI、1964年1月22日、29日のセアンスを読むことにより、より明確に把握できる。以下のように要約できよう。désâtreとは存在でもなく、存在の無でもない。存在以前のもの、まだ生まれていないものである。存在の無というとこれはニヒリズムに結びつけることができよう。神学でいえば、「神の死」以後、神を誠実に語るとなると無神論athéismeを論じることとなる。ハイデッガーの解釈学は「存在」史についての解釈学であった。分析家の作業が解釈することだとして、かれはどっこいこの解釈する術すらもち合わせていない。なにしろ相手は無意識だからであり、このことは本論文のテーマでもあるVerleugnungに関わる問題である。ヘーゲルの理性の奸計と比較するならば、分析における無意識の知の奸計(これにっよって知を想定された主体とされる分析家に対してアナリザン(ト)は想いを馳せる。転移の事実である)は前者がハッピー・エンドに導くものだとして、後者(少なくともラカンにおける分析においては)悲劇的結末を招く。

7年後、1975年の米国での講演でラカンはコメントを加えている。「否認」démentiは、思うに、現実le réelとある関係にある。あらゆる種類の否認が現実からやって来る、と。もし患者が純粋な分裂※※※※※※※※※を演じているとなると、驚くには当たらないことではあるが、「陰微な拒絶」が無意識の虚言を未然に食い止めるためにこの患者と仲良くしているのである。良きにつけ悪しきにつけ、否認は「嘘をついたmenti」ことの「撤回dé」でちょうど「なし崩しのdéfait」構造でできていて、真理la Verité、パロールを気付としながら、宛名へと届けられる。1975年の「精神分析フロイト学派研究会Les Journées de l’École Freudienne de Psychanalyse」における発表のなかでラカンはこう述べている、「否認は…現実le réelからのみ受け取ることができるものであり、ですから真理la Véritéもそこに関わりをもつことになるのです。なぜならば、真理は、ご承知でしょうが、自分のことを半ば-言うだけなのですが、現実le réelとしか関係をもち得ないのです。…この否認と現実le réelとの関係は確かなものなのです」。

※※※※※※※※※ここでも「分裂」はdivisionという語が用いられているが、これはラカンの主体の分裂division du sujetとはまったく異なり、 フロイトの自我の分裂Ichspaltung, clivage du moiのことを述べているはずである。注12)についても同様である。

Verleugnungは、纏めていうと、狡猾なrusé (kniffig)無意識に固有の重要なメカニズムであり、これをフロイトは十分な時間をかけて解明してこなかったのであるが、ラカンはフロイト的な曖昧さを脱却するため、否定の及ばない、否定に対して免疫を持った対象aというロジックを用いて(「分析的行為」L’acte analytique, 1968年3月20日のセミネール)この謎を解いたのである。対象aとは部分対象であり、そのロジックは「全体」le Toutの幻想mirageに対抗する。そしてこの単なる否定ではない「ではない」ものとしてこの「全体」は「全体ではない」Pas-Toutとなり、これらのあいだの決定的違いをラカンは精神分析家のディスクールを用いて諸ディスクール間でのロジックに持ち込むのである。

 

拙訳 la Verleugnung についての論文に関して

フロイトの原文(多くが独語で書かれている)を如何にに仏訳するか?これは大問題なのです。例えばラプランシュとポンタリスの「精神分析用語辞典」における各用語の仏訳とそれぞれの解説は、本辞典が各国語に翻訳されていて(espagnol, italien, portugais, hongrois, russe, roumain, croate, allemand, japonais, polonais, grec, arabe, coréen, slovaque, suédois et turc)、それぞれの国において(少なくともフロイトを読むに際しては)スタンダードとなっている(事実、しばしばこの辞書のフランス語訳を通じてフロイトのことばの多くは各国語にテクニカル・タームとして確立しており、フロイトの著作もこれをもとに翻訳されている場合が多い)ことからもフランス語訳は責任重大であるわけです。小生、このvocabulaire de la psychanalyseですが、英語版、ドイツ語版は持っていますが、ナウカに注文しているロシア語版が数ヶ月経っても一向に届かない。業を煮やして、出版元だけでなく、いくつかの書店にオーダーしてくれないかと、ナウカにクレームをつけたところです。そのロシアですが、ロシアでは著作権というものがいい加減です(ウクライナの方がちゃんとしている)。例えば、ミレール版のラカンのセミネールは紙媒体のもの(つまり本)を小生は同じくナウカで一巻のみ買いましたが(Изнанка Психолнализа, L’envers de la psychanalyse, 2008年にこの訳本は上梓されている)、なんのことはない、同じ訳者によるロシア語訳をネット上で読めるのです(そしてラプランシュとポンタリスの辞書のロシア語版も同様にネット上で読めるのです)。la reconquista millèrienneの目論見もこの国においては覇権、商権が及びにくいのか?ラカンをそれぞれの国で、その国民が、それぞれの国語langueに翻訳されたものを読むに際しても、ラカンはしばしばフロイトのことを語るのであり、フロイトのことばをどのようにフランス語で表現しているかで、これはラカンがどのように読まれているかだけでなく、フロイトを読むに際しても、その読み方にラカンの影響が及ぶわけですし、しかもラカンによるフロイトのことばのフランス語訳はコロコロ変わってゆくので、これらがさらに各国語にどのように翻訳されるかも相俟って、フロイトの読解は常にズレが生じてしまうのです。

一方本家本元であるはずのドイツ語圏において、精神分析が存在感を失って久しい。この寂しい現況たるや如何るものや。ところでどっこい、最近ドイツ語で書かれたラカン論が増えて来ている!!!これについては別稿で触れるかもしれません。Freud-Lacan-Gesellschaft Berlinという団体が1990年代に創設され、ベルリンだけでなくカールスルーエ, ケルン あるいはウィーンやチューリヒにおいても常に、フロイトについてであってもラカンを通じて研究が行われているようです。分析家の養成という点についてはまだまだのようですが…

「否認」Verleugnungの仏語訳の多さに辟易してこの論文にたどり着いたのですが、L'influence des traductions de Freud sur la pensée psychanalytique françaiseと題されたJean-Michel Quinodozの論文(https://www.cairn.info/revue-l-annee-psychanalytique-internationale-2011-1-page-29.htm#)も併せて読んでいて、こちらの方は、P.U.F.からリリースされたフロイト全集についてかなり辛辣なことが書かれていて注)びっくりしました。、翻って、あらゆる翻訳本についてますます懐疑的になって来ています。

注)例えば« passagèreté » « éphémère » (Vergänglichkeit) に替えて« passagèreté » 、« défaillance » (Versagung)に替えて« refusement »、同様に、訳しすぎで読んでいて意味不明になるのだが、« détresse »に替えて« Désaide », Hilflosigkeit eあるい hilflos は誰かが「寄る辺なさ」にあるのではなく「自分で自分を助ける術を持っていない(こと)だから、というのである、と。他にもSeele, その形容詞形seelischの旧訳« psychisme » « psychique »,に替えて OCF.P.(Les Œuvres complères de Freud/Psychanalyse)は、« âme » et « animique »を採用している。フランス語âmeはspirituelといった含意しかなく、ドイツ語Seeleの二つの語義が反映されていない(このことでいうと、日本語「精神分析」からして誤訳と言わざるを得ない。「精神」はGeistの定訳として良いであろうからである。「精神現象学」と「精神分析」は同じように見えてくる。「こころの分析」としなかったことで、日本のPsychoanalyseは既に「悪魔祓い」以下の効用しか望めないものに日本人には見えてしまっているのであろうから-荻本)し、形容詞« animique »は逆に、魔術、未開人の思考を感じさせる、と。

Quinodozの論文はラカンに対してかなり批判的ですが、このla Verleugnungの筆者はやや屈折したラカニアンではないのかと映ってみえます。Association des Amis de Jacques Lacanというグループに所属しているようですが、このグループは、また新たにラカンのセミネールの刊行を目指しているようです。本当にこの試みが現実化するのかどうか。

小生はミレール版セミネールは最近ほとんど読まくなってきてています。Staferlaの方が、臨場感みたいなものを感ずることができるからです。ラカンは言いよどんだり、ラプシュスのオンパレードになったり、chicks des motsがあったり(時には意識的にこれらをやります)、参加者の反応も(笑)とかで示されたり、と、これがラカンのセミネールなんだと納得できます。Staferlaにおいては、時にはラカンのラプシュスについてコメントが付され、本当はこうなんだと訳注が豊富です。Staferlaとてテキストなんだとしても、ちゃんとテキスト・クリティークもなされているというところでしょうか。Association des Amis de Jacques Lacanがやろうとしていることは、さらに注釈を多くして、ラカンがその都度即興で話したことと、それ以前に述べたこととのあいだに齟齬が生じていれば、これも批判的に解説、解題を加えるのでしょうか。

今回、本論文の試訳と「イリーナとの対談」を同時にアップしますが、「死んだ母親」についても、この「否認」の理解が必要でもあるからです。小生もかの女の影響でかなりアンドレ・グリーンも読むようになってきています。それとニコラ・アブラアムとマリア・トロック、それにかれ等創設のグループの一員であるクロード・ナシャンも読んでいます。ラカンについては、かれの「超自我」の概念が独特で、しかも臨床的にもこの概念を操作的に用いることが可能なのではないかと思います。これについては書きかけになっているものがあります。書きかけがたくさんあります。それぞれ、小出しになるかもしれませんが、より頻回にHPにアップしてゆくつもりです。